教祖杉山辰子師

教祖杉山辰子師

慶応4年7月28日、岐阜県羽島郡笠松町に杉山定七の次女として生まれる。16才の時家運を挽回しようと大垣に鈴木キセという法華経行者を訪ねられ、法華経に法縁を結ぶ。
 独自の修行を重ね19才の時天眼通を得、25才の時名古屋市昭和区の日蓮宗本立寺住職、名倉順慶師について法華経を学ぶ。
34才、医学と信仰の両立による衆生済度を発起される。
47才、名古屋市東区清水町に「仏教感化救済会」を設立。
以後東京から九州にわたりライ病救済事業を中心に、政治家や軍人、一般庶民に幅広く布教活動を広めた。昭和7年6月28日、65才の生涯を閉じる。田中会長の修行された大乗教の教祖であるが、真生会の教えのルーツとして、その功績と御教えを讃え、後世に伝えるべく真生会の恩師の一人として銅像を建立している。