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創始者の紹介
当教団の創始者をご紹介致します。
開祖さま 田中偉仁
開祖さま(田中偉仁)は菓子製造業「あづまや」を営む田中信次、志づゑの長男として誕生する。
人の上に立ち、何事も先頭に立って事を成す大いなる人物になってほしいとの願いを込めて幼名を「甫(はじめ)」と命名された。
優秀な成績ながらも病弱な少年時代を過ごした後、家運挽回のため15才にして大阪へ小僧修行にでる。
25才、某商社の支店長に抜擢されると同時に結核に倒れ、故郷に戻り闘病生活が始まる。
翌昭和26年9月、第1の師大乗教の栗山法明先生と運命的な出会いをし、入信。
29才、大橋君子(教母さま)と結婚。昭和31年11月、事業不振と治療に要した莫大な費用が重なり、「あづまや」は倒産。
妻子と共に大乗教岐阜教会に入所。「法光(ほうこう)」の法名を拝し、妙法一筋の人生が始まる。
昭和48年栗山法明師逝去の後を受け、大乗教岐阜教会第2代教会長に就任。
昭和54年、54才。第2の師、大乗教副管長柴垣法隆師のご指導により独立開教。
4月15日、宗教法人真生会を創立する。昭和57年、宗旨宗派を越えた心の聖地「心のオアシス、緑の楽園」建設を大誓願し総本山真生寺を開山。
平成元年4月4日、第2の師柴垣法隆師の入寂後、「常に生きた師が必要」と当時新宗連理事長であった立正佼成会会長、庭野日敬師を第3の師と心に誓う。
平成4年、教母さまの病いを機縁に庭野日敬師に直接師事。
「偉仁」のご選名を拝受し、師弟の契りを結ぶ。
昭和58年新宗連に加盟、以後WCRPにも加盟し、多くの教団と宗教協力による平和活動を積極的に展開した。
新宗連常任理事、新宗連中部総支部会長、WCRP評議員の重責を担う。
平成20年2月27日、家族と多くの信徒に惜しまれながら、83才の生涯を閉じた。妙法一筋の人生は偉大な一生であった。
田中偉仁(たなかひでひと)
大正15年(1926)1月1日 岐阜県岐阜市黒野生まれ
~平成20年(2008)2月27日寂
真聖院無邊開祖偉仁大師 享年83才
教母さま 田中君枝
教母さまはガラス販売業「つたや大橋硝子店」を営む大橋孝郎、トミヱの次女として誕生する。
幼名は「君子」。父孝郎は君子12才の時太平洋戦争で戦死。
父亡き後、老祖父母と7人兄弟の貧しい生活の中、長兄と共によく母を助け、少女時代の苦労が逆境に負けないねばり強さを培った。
独身時代から恩師栗山法明先生に師事し教えを学んだ。昭和29年5月24日、師の勧めにより田中法光会長のもとに嫁ぐ。
「あなたは田中家の経済と家運を挽回するために嫁ぐのです」との師の言葉に従って結婚後、一年足らずで「倒産」の憂き目に合うことを承知で結婚。
家土地、家財、衣服のすべてを失い、着の身着のまま赤貧洗うが如き極貧の生活が始まった。5人の子供と老母を抱え、夫の修行を支えるため、睡眠時間3時間余りの深夜に及ぶミシン仕事の内職が15年続いた。
持ち前のねばり強さと師の教訓を心に刻み込んでの徹底した陰役の実践であった。
昭和54年真生会発会後は、全信者の母親役として会員の悩める心を励まし、陰から支え続けた。
平成4年病いを得、会長と共に立正佼成会庭野日敬開祖を訪ね師事する。
毎月3年間にわたり、東京の立正佼成会本部に参拝し、法華経の研鑽に励んだ。一方、日敬師の教導に従って長年の陰役を脱皮し、会長と共に第一線に立って妙法広宣流布に励み、昼夜をいとわず人心救済に東奔西走した。
平成7年7月31日、家族と多くの信徒に惜しまれながら、64才の生涯を閉じた。貧困と激動の中を妙法一筋に駆け抜けた偉大な一生であった。
美しくも艱難辛苦に耐え、妙法による幸福の花を咲かせた一代を生前お好きであった胡蝶蘭の花になぞらえ、ご命日を「胡蝶忌」とお呼びして、遺徳を讃え感謝の祈りを捧げている。
田中君枝(たなかきみえ)
昭和7年(1932)4月6日 岐阜県岐阜市西野町生まれ
~平成7年(1995)7月31日寂
廣宣院真生安立偉君法尼 享年64才